鈴虫寺のいわれ

鈴虫寺のいわれ

鈴虫寺(華厳寺)の縁起

一年中心和む音色が響く、鈴虫のお寺。

秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。
華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。
本尊である大日如来のほかに地蔵菩薩も安置しており、全国から地蔵信仰、入学・開運・良縁祈願の方々をはじめ、多くの方が祈願にお見えになります。

美しい自然に恵まれた松尾山麓に佇む当寺は京都市内を一望でき、四季折々の花や樹々、歳月を重ねた石や苔、竹林などが調和する境内では厳かな静寂と歴史ロマンを感じていただけます。
また住職の説法を聞き、幸福地蔵菩薩様にお参りすることで自分の心と向き合うきっかけにもなるでしょう。

※「縁起」とは、お寺の歴史的ないわれを意味します。

鳳潭上人のおはなし

開山したのは、学僧「華厳の鳳潭(けごんのほうたん)」。

寺を開山した鳳潭上人は、稀代の学僧として語り継がれています。《名は僧濬、華嶺道人、幻虎道人と号し、筆号は浪華子》
元治2年(1659)越中国西礪波郡に生を受けた鳳潭上人は、16歳になると黄檗二傑の一人として名高い今井の法雲寺主である慧極道明禅師のもとに出家しました。

その後、黄檗一切経を上梓したことで知られる鐵眼道光禅師につかえることになり、法名を僧濬、別号を菊潭と名づけられました。鳳潭と名乗ったのは華厳寺を開いた後とされていますが、確かなことは分かっていません。

鳳潭上人は初め比叡山で天台の教観を修め、さらに京阪地方において大小顕密各宗を学び、その後奈良で華厳学を究めたといわれています。
上人が「渠が華厳を以て一代の業となす」という境地に至ったのは延宝8年(1680)、21歳の時。鉄眼禅師が東武に講教する際、これに随行した上人は鉄眼禅師から「天下の十宗その一を欠く、賢首宗教振るわざること久し、われ恒にこれを悼む、濬や教を好む、汝それよろしく華厳教宗を興すを以て任とせよ」と伝えられ、禅師自筆の経題を賜ったのがきっかけとなりました。

そして上人は、たいへん難解なため半ばすたれかけていた華厳宗を分かりやすく説くことで再び盛り上げたのです。この布教により、上人は「華厳の鳳潭」と呼ばれるようになりました。
また、鳳潭上人は日本で初めて仏教を中心とした世界地図を作った人とも伝えられています。当時、ヨーロッパから渡来した西洋中心の地図を見た上人は、インド(仏教圏)を中心にした地図を自ら作成。木版で刷られた大きさ約二畳の地図は、現代の地理学においても貴重な資料とされています。寺内では、鳳潭上人の座像やお墓をご覧になれます。

※鳳潭上人は承応3年(1654)に生まれた説や、摂津国に生まれた説もあります。

鳳潭上人の著書を一部ご紹介

  • 『五教章傍註』三巻
  • 『探玄記玄譚』一巻
  • 『探玄記別検』一巻
  • 『華厳入法界品字輪頓証毘盧舍那法身観』一巻
  • 『圓覺經集註日本訣』三巻
  • 『圓門境觀還源策』一巻
  • 『楞嚴千百年眼髓』三巻
  • 『楞伽經會玄記』一巻
  • 『起信論註疏略訣』一巻
  • 『觀音纂玄紀』一巻
  • 『起信論註疏非詳略訣』一巻
  • 『戒體續芳訣』一巻
  • 『阿毘達磨倶舎論略釈記新鈔』一巻
  • 『倶舍論頌疏講苑』十四巻(倶舎論頌釈/倶舍論頌釋疏/冠註講苑倶舎論頌略疏/阿毘達磨倶舎論畧釈/阿毘達磨倶舎論略釈記) [(唐)円暉述;鳳潭撰]
  • 『因明入正理論疏瑞源記』八卷 [(唐)窺基撰;;鳳潭記]

因明瑞源記

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倶舍論頌疏講苑

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